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山崎 雅人(やまざき まさと、1981年12月4日 - )は、日本のプロサッカー選手。京都市山科区出身。Jリーグのサンフレッチェ広島所属。ポジションはフォワード。国士舘大学卒業。
目次 [非表示] 1 人物 2 来歴 3 所属クラブ 4 個人成績 5 タイトル 5.1 クラブ 6 代表歴 7 関連項目 8 脚注 9 外部リンク 人物 [編集] ストライカーというよりはチャンスメーカータイプで、前線からの守備にも労を惜しまず、ピッチを広く走り回るアグレッシブで泥臭いスタイルが持ち味の選手[1][2]。 ペリクレス・シャムスカは「戦術に忠実な選手」として重用[1]、 西野朗は勝負強さを生かしスーパーサブとして起用した[2]。またFWだけではなくトップ下やサイドハーフとしてもプレー出来る[3]。 AFCチャンピオンズリーグに出場した年度ほとんどで得点をあげており、特に2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍をしたことから、「ACL男」「ACLのお守り」と呼ばれた[4]。 来歴 [編集] 京都大宅SSSでサッカーをはじめる。大宅中学校卒業、このころの同級生に松井大輔がいる。久御山高校を卒業後、2000年に国士舘大学に進学。大学の同級生に相馬崇人、村山祐介、北一真、冨士祐樹、鈴木弘大、原島喬らがいる。2003年、大学4年時にユニバーシアード代表に選ばれ、背番号10を背負いエースストライカーとして活躍[5]。韓国・大邱で行われた第22回ユニバーシアードでは5得点をあげチーム得点王、日本の金メダル連覇に貢献する。 2004年、横浜F・マリノスに入団。久保竜彦、安貞桓、坂田大輔、大島秀夫と層の厚いFW陣の中でなかなか出場機会に恵まれなかった。 2005年8月、出場機会を求めて大分トリニータに期限付き移籍。同年、リーグ初得点を含む2ゴールを挙げる。 2006年、大分に完全移籍。ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場。翌2007年、出場時間も大幅に増え、シーズンの終盤戦には完全にスターティングメンバーに定着する。 2008年、ガンバ大阪に完全移籍する。リーグ戦での出場機会は少ないながらも、AFCチャンピオンズリーグで5得点の大活躍で苦しむチームを救い、ACL優勝に貢献した。同年のFIFAクラブワールドカップでもマンチェスター・ユナイテッド[2]とCFパチューカ戦で得点をあげている。2009年の天皇杯制覇にも貢献した[4]。 2010年、サンフレッチェ広島に期限付き移籍、期間は2011年1月31日まで[3]。 PR |
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