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【2024/10/06 16:21 】 |
踊りとあゆ
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩(読み同じ)、1978年10月2日 - )は、日本の女性ポップス歌手、元女優、モデルである。 愛称は「あゆ」「ayu」。公式の英語表記は「ayumi hamasaki」。 所属事務所は、エイベックス・マネジメント株式会社。 レコード会社は、エイベックス・トラックス。
目次 [非表示]
1 人物
2 影響
3 来歴
3.1 - 1997年 モデルから女優・アイドルへ
3.2 1998年 - 2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ
3.3 2001年 - 2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇
3.4 2004年 - 2006年 エイベックスお家騒動 歌手業専念期
3.5 2007年 - 2009年 A BEST 2発売 歌手デビュー10周年
3.6 2010年 - 現在 50thシングル
4 内耳性突発難聴
5 諸騒動
5.1 暴言騒動
5.2 エイベックスお家騒動
5.3 渋谷ゲリライベント
6 作品
7 受賞記録
8 ライブ(イベント含む)
9 出演
9.1 テレビ
9.2 TVCM
9.3 ラジオ
9.4 映画
10 脚注
11 外部リンク
人物 [編集]

福岡県福岡市生まれ。福岡市立原中学校卒業、堀越高等学校中退。
歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、もしくはあたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、複数を指す『……達』、『……ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得る。浜崎自身もCREAとして、作曲を手がけている。
また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてきており、ライブツアーのMC中にステージに登場したこともあった。『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の日本国外での公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしており、ほとんどの歌詞は日本語であった。しかし、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語を披露している。
影響 [編集]

1998年、多くの化粧品会社、製菓メーカー等とタイアップし、テレビ・雑誌等のメディアによる「浜崎あゆみ」への注目度が上がった。
2000年頃にはCDの売り上げ枚数がミリオンを達成することが多々あり、また多くのCMや雑誌に出演し、総合司会を務めるテレビ番組を持っていた。マスコミなどでは「女子高生のカリスマ」と呼ばれ、彼女のファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出し社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。
2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。
来歴 [編集]

- 1997年 モデルから女優・アイドルへ [編集]
小学生の頃にSOSモデルエージェンシー福岡にスカウトされ、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターや地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージック(現・サンミュージックプロダクション)を紹介され、所属(都営地下鉄浅草線浅草駅のホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともにこの頃の写真が掲載されていた)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビュー。1994年、芸名を「浜﨑あゆみ」(『崎』の異体字である『﨑』)に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。音楽バラエティ番組で歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。アイドル活動中に松浦勝人と知り合い、1996年末にサンミュージックとの契約が切れた後に本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。当時はあまり音楽的興味も薄かったとロッキンオンジャパンの2万字インタビューで語っている。
1998年 - 2000年 歌手デビュー 女子高生のカリスマへ [編集]
1998年4月8日発売の1stシングル「poker face」で『浜崎あゆみ』としてデビュー。 1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル「LOVE 〜Destiny〜 / LOVE 〜since1999〜」でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル「A」が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。 2000年4月より初めてのコンサートツアーに挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部の公演を延期した。シングルSEASONSで136万枚を超える大ヒットとなり、アルバムも3ミリオンを記録した。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル「M」では、CREAとして初めて作曲を手掛け、ミリオンを達成した。12月31日に、初のカウントダウンライブを開催する。
2001年 - 2003年 A BEST発売 レコード大賞3連覇 [編集]
2001年3月28日、自身初のベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバムとの同日発売で注目を集めた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル「Dearest」で日本レコード大賞受賞(以降2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。前年に続いて史上初二年連続CD総売り上げ200億円を突破した。また9月にはTOKIOの長瀬智也との交際が明らかになった。 2002年4月24日発売の26thシングル「Free & Easy」は雑誌『Free & Easy』とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊『浜崎共和国』を発売する。7月24日発売の27thシングル「H」が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン・日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル「Voyage」に合わせて短編映画『月に沈む』(監督:行定勲)が公開。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組『ayu ready?』がスタートした。 2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブ『A museum 〜30th single collection live〜』が行われた。12月12日、『songnation』に参加し、小室哲哉の作曲、自身の作詞のもとglobeのKEIKOとAYUMI HAMASAKI & KEIKO名義でシングル「a song is born」を発売した。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売し、Bonus Track以外の収録曲全てに対しプロモーション・ビデオが作られるなど、この頃からプロモーション・ビデオの製作に力を入れるようになった。
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【2010/11/07 16:16 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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