忍者ブログ
  • 2024.10
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 2024.12
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2024/11/28 08:30 】 |
吉見一起
吉見 一起(よしみ かずき、1984年9月19日 - )は中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。

目次 [非表示]
1 経歴
1.1 プロ入り前
1.2 プロ入り後
2 プレースタイル
3 人物
4 詳細情報
4.1 年度別投手成績
4.2 背番号
4.3 タイトル・表彰
4.4 個人記録
5 脚注
6 関連項目
経歴

プロ入り前
小学校2年生の時に野球を始めた[1]。高校時代は金光大阪のエースとして2002年の第74回選抜大会に初出場するも1回戦で森岡良介(東京ヤクルトスワローズ)らを擁する明徳義塾に敗れる。
卒業後トヨタ自動車に入り、社会人ナンバー1投手と評された。吹田市立片山中学校同窓生(1学年上)の妻と出会ったのもこの頃[1]。肘の手術もあり評価はやや下がっていたものの、2005年のドラフトの目玉となり、2005年のドラフト希望入団枠で中日に入団した。
プロ入り後
2006年
ルーキーイヤーのこの年は、9月10日に1軍昇格し、対広島戦でプロ初登板を果たす。1イニング1/3を無失点で抑える。9月18日の対横浜戦で5回2失点で初勝利。また日本シリーズにも中継ぎとして登板した。
2007年
ローテーションの谷間で昇格することがあったが、打ち込まれるなど不調に終わった。ファーム日本選手権では最優秀選手賞を得た。その後ドミニカ共和国のウインターリーグに参加した。帰国後の12月16日に結婚[1]。
2008年
オープン戦3試合15イニングを無失点に抑え、初の開幕一軍入りを果たした[1]。4月6日の対ヤクルト戦で初完投・初完封勝利。4月13日の広島戦で被安打11ながら連続完封を記録した。なお被安打11以上の完封は、1989年8月4日巨人戦(横浜)で大洋ホエールズの新浦壽夫が13安打を打たれて以来の記録となった。開幕からの連続無失点イニングを24回2/3まで伸ばし、8連勝はチームタイ記録[1]。また、同シーズンはウエスタンリーグの開幕投手を務めた。一時期はチーム事情からセットアッパーに回ったが、右肩の故障によりチームから一時離脱、出場が決まっていたオールスターゲームは出場を辞退した。肩痛が癒えた夏以降は再び先発ローテーションに戻り、結果このシーズンは10勝を記録した。また、シーズン通算2完封はコルビー・ルイス(元広島東洋カープ所属)と並びセ・リーグ最多であった。
2009年
中日のエースであった川上憲伸がアトランタ・ブレーブスに移籍した直後のシーズンとなった。前年の実績を糧に先発ローテーションを勝ち取り、4月4日の横浜戦でシーズン初先発を95球完封勝利で飾った。順調に勝ち星を伸ばし、前半戦最後の登板となった7月18日の対横浜戦で、シーズン10勝目を早くもシーズン4度目の完封勝利にて達成し、自身初の2年連続2ケタ勝利を決めた。オールスターゲームにも監督推薦にて選出され、第二戦に藤川球児(阪神)の後を継ぎ登板したが、負け投手となった。後半戦も更に勝ち星を伸ばし、10月3日の横浜戦で16勝目を挙げ、最終的に館山昌平(ヤクルト)と共に16勝で最多勝利のタイトルを獲得した。防御率も1.996(同僚のチェン・ウェインに次ぐリーグ2位)と、自身初の防御率1点台をマークした。また、シーズン通算4完封はチェン、涌井秀章(西武)と並び両リーグ最多、無四球試合3試合は両リーグ通じて単独最多と、年間を通じて安定したピッチングを披露し、川上憲伸の抜けた穴を埋める活躍をした。 中日の進出が決まっていたクライマックスシリーズ第2ステージに先立ち、10月22日に中日新聞が「今年7月途中から、登板前後にナゴヤドーム内の医務室で30分程度の時間をかけ、点滴(ニンニク注射)を受けていた。」と答えた吉見のインタビュー記事を掲載した為、即日日本プロ野球組織医事委員会が反ドーピング規定への抵触可能性があるとして、東京都内で球団関係者立会いのもと本人に事実確認を行った[2]。しかし、この事実確認とカルテなどの調査により、10月24日にNPB側が「医学的に正当な治療行為の範ちゅうにある」と違反は無かったとの判断を示し、潔白が正式に証明された[3]。この一件は第2ステージ直前の出来事、かつ同年3月開催のWBCへの選手派遣に関する意見不一致を巡る原・落合両監督の因縁の対決だった事もありマスコミが大々的に報道した。
2010年
自身初の開幕投手(対広島戦)を務めたが、6回3失点で敗戦投手となった。
プレースタイル

現役の先発投手としては武田勝(日本ハム)と石川雅規(ヤクルト)に次ぐ通算与四球率1.71と抜群の制球力を誇り、ノーワインドアップのオーバースローから150km/hを超える速球とスライダー、シュートを武器に、フォークボール、カットボール、チェンジアップ、パームボール等多彩な変化球を投じる。ただし、基本的な球種であるカーブは投げられない[4]。
人物

岩田稔とは高校時代に大阪市内の同じ治療院に通っていた。
ルーキー時、CBCの番組サンデードラゴンズの企画で旅行に行き、新井良太、春田剛、平田良介と魚釣りをしたが、吉見は一匹も釣れず、罰ゲームをやらされた。 ちなみに生き物には全く触れることができないらしい。(同番組内で本人発言。釣りの際は番組スタッフに餌をつけてもらっていた。)
二人の弟(双子)がおり、二人とも兄・一起と同じ金光大阪高校の野球部に所属していた。2007年夏には大阪府大会決勝で中田翔のいる大阪桐蔭高校を破って甲子園行きを決めた。両者とも甲子園メンバー入りしている。妹も同校野球部のマネージャーを務めていた。
トヨタ自動車の先輩金子千尋の影響で夫婦ともども風水に凝っている。ラッキーカラーは赤。チームカラーに合わないため、登板前日は真っ赤なトランクスを履いて寝る[1]。
PR
【2010/11/08 20:11 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
<<カカの踊り | ホーム | 岩瀬仁紀>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














虎カムバック
トラックバックURL

<<前ページ | ホーム | 次ページ>>